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隅田川回向
関東大震災を後世に伝え残すためのコンサート
隅田川怒涛2023

文:清宮陵一
撮影:三田村亮(■)

私が初めて東京都慰霊堂に入ったのは、2011年の3月10日でした。自宅から歩いて10分程の場所にある横網町公園の前を自転車でふと通りかかった時に、今日はやけに人が多いなあ、そういえば中に入ったことなかったから入ってみようかなあと、自転車を停めて人をかき分けお堂の中に入っていくと、ちょうど東京大空襲で亡くなられた方々のための春季法要が営まれているところでした。足を踏み入れた瞬間の時空がひっくり返ったような「昭和感」は、小さい頃に上野のガード下や浅草の路地や錦糸町の裏手で感じたような、さらにもっと昔の昭和の記憶も纏っていて、一気に子どもの頃の自分に戻ったような気さえしました。日常生活の中でこうやって過去に引き戻されるようなことは、もはやほとんど無くなってしまいましたが、確かにあの日、お念仏と線香で満たされたその空間には長きに渡る過去の記憶が横たわっていたように感じました。
 
その翌日に起きた東日本大震災は、薄れることのない記憶として今でも鮮明に覚えています。皆さんもきっと、そうでしょう。豆腐のようにたぷたぷと揺れる地面、程なくしてテレビから流れてきた東北各地の津波映像、福島原子力発電所の事故によって水道水からセシウムが検出された時は、自分自身がうっすらとパニックに陥っているのがわかりました。この、関東大震災と東日本大震災が地続きであるかのような流れがあって、その後長らく東京都慰霊堂に足を踏み入れるのを躊躇する自分がいました。
 
トッピングイーストで2015年から始めた「BLOOMING EAST」は、音楽家を東東京にお迎えして、その方の興味関心をもとにリサーチをおこない、アウトプットを決めずに気長にこの地に花を咲かせていこう!というプログラムです。そのキックオフとして墨田区の八広と東墨田を舞台に行ったサーキットイベントで、廃屋でのピアノコンサートをご担当いただいた寺尾紗穂さんにその後改めてお声がけをし、2017年よりリサーチ活動をスタートさせました。この土地の歴史をどこを起点に探り始めるか?その指針となる重要な最初のリサーチ先に選んだのが、久方ぶりの東京都慰霊堂でした。

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(東京都慰霊堂を取材。レポートはCINRAにアップされています)

そこから寺尾さんは2本のエッセイを書いてくださり、2021年には「隅田川怒涛」にて、小林エリカさん作・女工さん達の物語『女の子たち 紡ぐと織る』を、青葉市子さんと共に実演、映像作品として残すことができました。過去の人々の営みが現代に生きる人々へ音楽を通じて共振していくような体験を、寺尾さんからはこれまでに幾度となく受け取ってきました。歌によって遠い過去の記憶を呼び覚まし、ひとりひとりの目の前にそっと現出させることができるのはこの音楽家しかいないと確信し、今回のオファーにつながりました。
 
そしてもうひと方お声がけをしたのは、UAさん。「隅田川怒涛」でも、コロナ禍真っ只中からどうやって明日を見つけ出せるだろうか?と思案を重ねた「天空の黎明」というプログラムで、関東大震災の惨状から復興を志していく詩の朗読をご担当いただきました。今から20年前になりますが、NHK 旧・教育テレビ「ドレミノテレビ」で、当時ポップスのど真ん中にいながら音楽教育番組という枠でも驚異の歌声と表現力でお茶の間の小学生の心を鷲掴みにしていた”歌のお姉さん”でもあります。「隅田川怒涛」の翌年に拝見したコンサートでも、エネルギーが足の小指の爪の先から髪の毛一本一本の毛先に至るまで満ち溢れまくっていて、もう、歌を聴いたらこちらも漲ってきちゃう!としか言いようのない圧倒的存在感を感じ、100年という節目にこの地で生者と死者の境なく慰霊と鎮魂を歌で表現していただきたいと、オファーしました。

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(UAさんの朗読に中山晃子さんがALIVE PAINTINGを重ねてゆく「天空の黎明」)

東京都慰霊堂からコンサート実施の許可が下り、この場所でUAさんと寺尾紗穂さんの歌声が聴けることになった時、改めて生でその歌声を聴いてほしいのは誰か? ということを問い直してみました。
 
今年、関東大震災から100年ということで各地で関連イベントが行われ、私自身もいくつか足を運んでみたのですが、現場にいるのはご高齢の方が多く、若い世代や子ども達に遭遇することはほとんどありませんでした。題材として届きにくことは百も承知。でも、音楽だからこそ、芸術表現だからこそ、記憶のない遠い過去の災害そのものや災害によって起きた出来事を伝えることができる。いや、伝えるだけでは足りなくて、子ども達の体に心に、どうやって沁み入っていくことができるのかを考えながら、10万枚のチラシを隅田川流域7区の小中学校に配布(墨田区、足立区、北区からは後援をいただき全児童の手元に配布)しました。インターネット上には情報を載せず、隅田川の近隣に暮らし学ぶ子ども達とその家族を対象とした「関東大震災を後世に伝え残すためのコンサート」を実施することが決まりました。

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そうして迎えた2023年10月29日、秋晴れの横網町公園。一昨年の「隅田川怒涛」、昨年の「隅田川道中」を連綿と受け継ぐ隅田川シリーズ第3弾「隅田川回向」が幕を開けます。
 
事前に配布したチラシは正方形で、折り紙として鶴を折って持って来てもらえる仕様にしていました。たくさんの子ども達が鶴を持って受付に並んでくれているのが見えます。開場中もさらにみんなでせっせと鶴を折り、ステージの思い思いの場所に手向けていきます。

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午後2時半、最初にピアノの前に座ったのは寺尾紗穂さん。
慰霊堂のある墨田区両国に伝わるてまり唄「向山に鳴く鳥は」から、コンサートは始まります。続いて、関東大震災の被害に遭った子ども達が残した作文集「震災記念文集」より、こちらもまさにこの場所で起きた出来事「大震災の時の被服廠の中」(中和尋常小学校 第五学年 北村幸子さん作)を、地元の小学生・渡天美さんが読んでくれました。震災当日の命からがらのお話の後は、「バラック生活」(外出尋常小学校 第六学年 上野都子さん作)と題した、震災から日が経ち日常を進めていこうとする家族のお話を渡英華さんが朗読してくれました。二人はここ数年トッピングイーストのイベントに足繁く参加してくれている姉妹。当時の難しい言葉遣いをそのままに、作文を遺した子ども達の同世代が100年という時を超えてこの場所に物語を甦らせてくれました。
 

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ここで寺尾さんから、毎年9月1日の防災の日には、防災リュックの中身のこと、それから震災で亡くなった方々のこと、さらには震災の後に殺された朝鮮の人たちのことも思い出したい。どうしてそのようなことが起きてしまったのか、心の中に疑問を持ち続けてもらえたら嬉しい、と子ども達へメッセージが語られました。次の「流した涙の数だけ美しい虹がたつ」は、北海道東部斜里町の図書館で寺尾さんが偶然見つけた地元の女性の詩に曲をつけたもの。困難な状況ながら凛々しく生きることの喜びが綴られ、震災からの復興の様子と重なっていきます。
 
1923年に起きた関東大震災から22年後、第二次世界大戦終盤の1945年3月10日に起きた東京大空襲もこの地にたくさんの犠牲者を出しました。親を失った戦災孤児が綴った作文集「もしも魔法が使えたら」より、終戦時12歳だった高橋喜美子さんの「プールで九死に一生を得る」を新津保遥さんが読み、寺尾さんがピアノを添えます。
 
続けて、新曲「しゅー・しゃいん」は、靴磨きで戦後を生き延びた戦災孤児達のお話です。
ここからさらに、亡くなった方を想う歌が続きます。讃美歌「心の緒琴に」、東日本大震災を題材にした「あの日」、ファースト・シングル「さよならの歌」。きっと聴く人それぞれの脳裏に浮かぶ顔は違えど、この場所だからこそ思いを馳せることのできる誰かがいるのではないかと思います。自分とも向き合える、大切な時間が流れていきます。
 

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ラストはNHK・Dearにっぽん主題歌としてもおなじみの「魔法みたいに」。朗読を担当した渡天美さん、渡英華さん、新津保遥さんがここでは合唱で加わり、遥さんはなんとフルート演奏も。地元の小中学生3人が大役を果たしてくれました。寺尾さんの奏でる音楽と共に、彼女達の言葉や歌声が聴きにきてくれていた同世代の子ども達に響いていたら嬉しいなあ。
 
■寺尾紗穂セットリスト
向山に鳴く鳥は(両国のてまり唄)
朗読「大震災の時の被服廠の中」渡天美さん
朗読「バラック生活」渡英華さん
流した涙の数だけ美しい虹がたつ 
朗読「プールで九死に一生を得る」新津保遥さん
しゅー・しゃいん
心の緒琴に(讃美歌第531番)
あの日
さよならの歌
魔法みたいに

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午後3時40分、ステージに立ったのはUAさんとピアノの鈴木正人さん。長年活動を共にするふたりが、シンプルでいてピタリと呼吸のあった歌と演奏を、この後たっぷりと聴かせてくださいます。
1曲目は「ひらいたひらいた」、誰もが知っているわらべ歌からスタートです。江戸時代に浅草界隈で歌われていたというこの曲を、UAさんは来場者と一緒に歌ってハーモニーをその場でつけていきます。たくさんの声によって蓮の花がゆっくりとひらいていく様が空間全体に広がっていくような、素晴らしいオープニング。
 
ここからはUAさんのオリジナル楽曲が慰霊堂の隅々まで響き渡っていきます。96年のシングル「雲がちぎれる時」、02年のシングル「閃光」、「青空」はアルバム「アメトラ」に収録された楽曲。UAさんの曲は大いなる自然と自分との関係性を言葉と歌で紡ぎ、時に近づいたり時に離れたりしていくような揺れや調和を感じとることができます。そのことをたおやかな歌声で、この場所で語りかけてくれることで、時間や空間をいくらでも拡張して自分の中に取り込んでいけるような感覚にさえなります。また、曲間のMCでも時に子ども達へ、時に子どもを産んだお母さんへ向けて、優しい眼差しを投げかけてくれます。
 

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後半の「Moor」と「水色」はさらに圧巻。東京都慰霊堂そのものが船になったような、地球そのものになったようなスケール。改めてUAさんの歌の凄みと音楽の持つ力を思いっきり実感し、童謡「椰子の実」、アンパンマンの作者・やなせたかしさん作詞の「手のひらを太陽に」を元気いっぱいに、万来の手拍子の中で歌いきってくださり、コンサートは終了しました。
 

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もう一点、触れておきたいことがあります。今回、2021年の「隅田川怒涛」では事前収録という形で読んでいただいた、大正時代の社会運動活動家・九条武子さんの随想集「無憂華」から、改めていくつかの詩の朗読を、曲の合間にお願いしました。九条武子さんは、西本願寺法主の子として生まれ、仏教婦人会を創設。関東大震災で被災後は、震災による傷病者や孤児の救援活動にのめり込んでいき、42歳という若さで亡くなりました。「無憂華」がベストセラーになり、その印税で現在の江東区住吉にある、あそか病院を建設。ステージでUAさんの口から九条さんの詩が読み上げられ、どのような状況にあっても生きていかんとする魂の咆哮は、二人の存在が言葉を通じて重なり合っていくように感じる美しい朗読でした。
 

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■UAセットリスト
ひらいたひらいた(わらべうた)
朗読「眠りに入るとき」
雲がちぎれる時
閃光
青空
朗読「悠久なる啓示」
あいしらい
Moor
水色
朗読「臨終」
椰子の実 
手のひらを太陽に

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コンサート終了後、スタッフのみんなでステージに並んだ折り鶴を千羽鶴にして、お堂へ奉納することができました。当日コンサートに参加してくださった方は、またぜひお参りに行ってみてください。参加は叶わなかったけど、配信画面の向こうで鶴を折って応援してくださった方も、いつかぜひお堂に足を運んでみてくださいね。

2010年、鞄屋さんの小さな倉庫で始めた投げ銭コンサートは、この地域に音楽をもたらしたい!という想いで始まり、トッピングイーストの活動へとつながっていきました。あれから干支も一回りした2023年、関東大震災100年という年に、最も被害を受けた場所であり近所の公園として親しまれている場所に建てられた施設にて、日本を代表する音楽家を迎えてコンサートを行うことができました。これは、我々にとってひとつの到達点といえます。開催に際し、ご尽力くださったパートナーの皆さんへ、心から御礼を申し上げます。

後日、寄せられたたくさんの感想を読みながら、こういった取り組みを長く着実に続けていくことが、次の災害に遭った時に、迅速に助け合える顔の見える地域コミュニティになりうるのではないか。この日会場に来てくれた子ども達がその先頭に立って指揮してくれる日が来るのではないか。音楽やアートを用いて、多世代の繋がりがこの地にさらに広がっていくことを夢見て、我々の活動はこれからも続いていきます。

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