【インターンレポート】『隅田側に立つ』を通して考えた、私にとっての「公共性と公益性」石山礼
NPO法人トッピングイーストでは、インターン生に「現在自分が考える”公共性”と”公益性”」をテーマにレポートを書いていただきました。今回は2020年11月よりインターンに参加してくれている石山礼さんのレポートです。石山さんは特に『隅田川怒涛』ではリサーチや現場運営を、『隅田側に立つ』では備品管理などを担当しました。
私は展示とトークイベント『隅田側に立つ』の中で、隅田川沿いで生活する人々の写真を撮りながら、うまくいかなくなった私の暮らしに対するヒントを探していくというテーマの展示を行った。それは決して私1人だけの力で実現されたものではなく、展示の完成に至るまでに、トッピングイーストの方や学芸員の方にたくさんの手助けをしていただき成り立ったものだった。
そもそも私の暮らしが「うまくいかなくなった」というのは病気のせいだった。コロナ禍において色々なことが制限されていく中で、夜眠れなくなったり外に出ていくことが困難になったりしていた。そうした中で、トッピングイーストのインターンとして活動に参加することも難しくなっていた。それでも清宮さんをはじめとする関係者の方々は、最大限私にできることを探してくださり、なんとか私という存在が社会から取り零されないようにして下さった。
こうした中で私が公共性について思い至ったのは、多数と全体の利益の名の下に常に無視・軽視されてきた(社会的勢力としての)マイノリティ、社会的弱者の利益こそがむしろ「公共の利益」の本質をなすと考えられるべきであるということだ。公共性は「開かれた公共性」であるべきだと言われつつも、しばしば少数者の排除を伴うという問題がある。しかし実際に公共にとって重要なのは、普段社会からはあぶれてしまっているような、存在を希薄なものにさせられているような人たちまでしっかりとその圏内に含むことではないかと考える。社会全体を広く見渡すことのできる視点こそが、公共性について考えるときに力を貸してくれるのではないか。
また私は、マイノリティや社会的弱者のような人々のためになってこそ公益性が成り立つと考える。展示の最終日、清宮さんが隅田川沿いの花壇を使って野菜や果物を栽培し、それを地域の事業者と連携して生活の厳しい方に寄贈できるようなシステムを作ってみたいという構想をお話ししてくださった。このように、普段社会からは取り残され、いないことになってしまっている人たちに対して手を差し伸べ、困難な状況から救うことこそが、公益にとって重要なことなのではないかと考える。このように社会から排除されてしまっているような人たちに対しても何かできることがないか考え、彼らが社会的生活を送れるように支援することが、公益となり得るのではないかと考える。私もそういった人たちを支援できる職業に就いて、彼らの生活が脅かされることのないようにしたいと思う。
↑石山さんは、くらしのヒントを探しに隅田川沿いを散歩し、思い思いに過ごす人や生き物の姿を、すこし遠目から眺めるように写真におさえました。『隅田側に立つ』の展示では、ロッカーの中に写真を展示し、来場者の方々にも隅田川沿いに存在するくらしを覗いていただきました。
↑展示された写真のひとつ。隅田川のテラスで、銀色の小皿を並べて本格的なカレーを食べている人を発見。タイトルは「優雅な昼食」(石山さん撮影)
↑来場者に展示を案内する石山さん(左)